とっておきの愛を、

私だけの価値観

こういう人間です

 

 

きっともう書かないだろうなとなんとなく思ってたけど、あまりにも素敵な映画を観たのですこしだけ。

 

ざっくり映画の内容を纏めると

事故で一時的に視力を失った音大生ヒロインとアルバイトで暮らす声の出せない男の子のお話。

ありきたりな感想を言うなら「いろんな愛の形があるな」だし、あっと言わせる感想を言うなら「ヒロインの耳に聴こえている世界は壮大で、男の子に見えている世界はとても小さくて、ふたりが交わるときあたたかくてやさしい愛が音になって目に映る。映画館で観るべき」だし、あたしの感想を言うなら「あなたにあいたくなりました」だと思う。知らんけど。

いやほんとにあいたくなったのでおもかげを求めてとある場所に寄った。あえた日はだいたい雨が降っているけど昨日は月が綺麗だった気がする。あなたしか見えてないからあんまり覚えてないけど。

好きか嫌いかと聞かれると好きだけど あたしのものにしたいとか、あなたのものになりたいとか、そんなこととはちがう。ただあなたのことを知りたいのです。友達が知っているあたしの知らないあなたを、誰も知らないあなたを、あたしだけが知ってるあなたを。

 

洋楽やラップのよくわからない早口な歌詞とドンドン鳴る低音ばかりのプレイリストにぶち込んだゆっくりのんびりしたマイヘアのホームタウンが心地よく流れる車内でかきはじめたよん(笑)

そしてここでひとつ謝りたいことがある。

もしこの先あなたを恋心として好きになってしまったのなら不幸にする自信しかないので先に謝罪します。好きが故に傷つけてしまうと思う。これまでがそうだったから。人を信じられないのはこういうところからくるものもあるよ。どうせみんな離れていく、あたしの人生を通り過ぎて行く通行人にすぎない。きっとあなたもそうだよね。今の曖昧な友達関係が心地良いと思っているのはあたしだけだし、あの時間に幸せを感じているのもあたしだけ。知らんけど!!!

これを読んで気持ち悪いって思うのが正常です。でもあたしはこういう人間です。話し相手がいないのでこんなふうに文章にして生きています。

ころしてください。

 

 

 

歳を重ねる

 

 

 

 

2024年になりました。

安易な言葉をならべるつもりはありません。

ただ穏やかな日常が1日でもはやく戻りますように。

 

 

 

 

 

歳を重ねると自分の年齢を隠すようになるのはなぜだろうか、という疑問からこの文章がはじまりました。

(たまたま読んだみぃちゃんの記事に感化されて書きたい欲が出たと言うのもある)

 

 

私はいくつになっても堂々と歳を公言したいと思う。なぜなら○年間私は私として生きた証だから。苦しいことも幸せなことも全部抱きしめてここまできたこと=年齢みたいな、そういう考え。とくに女性は年齢を言うことを控えるのはどうしてかな。実際年齢より若く見える人ばかりだから気にならないのに。私がしょうもないこと気にするように、気にする人は気にするか〜。ただその年齢でそんな感じなの?という人が一定数いるのは事実で。でもそれは私の常識でそうなだけであるからそこは置いておこう笑

オチのない話なのでどう終わりにもっていこうかオロオロしてるのは目をつむってください

歳を公言するからにはその年齢に相応しい人になっていたい。「歳を取る」「歳を重ねる」調べたら意味は同じらしいけど、歳を取るという表現より歳を重ねるという表現が好きなのでそちらを使っていこうと思う。

 

 

そしてせっかく筆を取ったので今年の目標を書いてみる。

ここ数年の目標は「現状維持」

これは情緒不安定で全てが良くない方向へいってしまいがちだった私に先生が教えてくれた目標。上がらなくても、下がらなければそれでいいと諭してくれた柔らかい笑顔が今でも忘れられない。この人は私より私のご機嫌の取り方がうまいなと思った。笑

私的に2023年は上がる1年だったと思う。自分の居場所を見つけて正社員になり、外に出て太陽を浴びる喜びを感じた。心の健康は相変わらず不安定なままだったけど小さなことで幸せになれた。ここ数年で1番いい年、胸を張ってそういえる。

そんな私の次の目標は「ひとりでも大丈夫になる」

これは全く誰にも頼らず生きるというより落ちた時どれくらいひとりで解決できるか、ということ。もうむりだから死ぬに辿り着くのをやめたい。自分は何が嫌でそうなっているのか整理ができるようにする。誰かに寂しさを埋めてもらうのではなく自分で、自分のご機嫌は自分で取れるように。

 

後ろ向きで生産性のない文章だけど、人に言えないだけでこんなに言葉が私の中に眠ってるのかと我ながら驚く。〝言葉にするのが上手な人は言葉を必要として生きてきた人〟という誰かの一言が心に残っている。その方の理論でいくと私はきっと『言葉を必要として生きてきたけど声に出すことはしなかった人』である。日記にするとスラスラ思い浮かぶ。キャッチボールしなくていいから楽。わりと自由。ただ何かを傷つけない配慮は必要だけれど。

 

よし、スッキリ!☺︎

 

短編集

はじめに

私が日常的に考えていることや感じたことを自分なりに書き留めておくメモがあります。なぐり書きのまま眠っているもの、かたちにはしたけど短すぎて載せてないもの、そんな陽の光を浴びることなく漂い続けている文章をよせ集めました。ある人に「そのままの気持ちを書いたらいいよ」と言われたのでなんの添削もなくコピペして載せます。当時の私のぐちゃぐちゃな心を読んでみてください。

 

 

 

 

目次のようなもの

 

・そういう日もあるよね
・わたしだけの価値観
・虚無感
・嫌われ役
・toアイドル
 

 

 

 

 

そういう日もあるよね

どうしようもなく優しさに触れた。

今日、私の心は傷ついていた。正確にはきのうから。でも理由は私にもよくわからない。理由もなく傷つくことはよくあること。傷ついているときに、冷たい目で淡々とした口調で言葉を投げられると泣きたくなる。相手は普段からそんな感じなので多分いつも通り。いつも通り接してくれていると分かっていても、傷をズタボロにするには十分すぎるほど冷酷に感じた。

すべてが「いつも」と変わらないはずなのにすこし私の心に傷が入るだけでこんなに世界は違って見えるのかと変に感心してしまった。その「いつも」は私が周りの環境とつくっている感謝するべき対象だと思った。またどうでもいいことを考えては消えていく。この話もこうやって書き出さなかったらもう二度と思い出されない感情だ。どうでもいいけどどうでもよくない不思議なことだらけ。

 

得体のしれないどろどろした感情が心を支配する夜に、寄り添ってくれる人がいる。それだけで私の毎日が愛おしいものになる。「いつも」ありがとう。

ドーナツたべよ。

 

 

 

 

 

わたしだけの価値観

わたしのことを分かろうとしてくれてすこしの本音とわたしたちにしかわからない冗談を笑い合えるのが居心地がいい人

胸がキュンとして手の届かない人だと勝手に決めつけて壁を作って自分を隠して話すのが好きな人

わたしのなかではこんなにちがう

そして後者と付き合って振られるまでがワンセット

全然ハッピーじゃないハッピーセットの出来上がり

我慢して泣いて笑って疑似恋愛してるの何が楽しいねんって毎回思うけど最中のわたしこの世の誰よりも幸せそうでなんも言えん

成長してないように思えるけどそれもまた人生であり勉強だよと言い聞かせる(笑)

 

 

 

 

 

虚無感

最近のわたしの口ぐせ「虚無感で死にそうになる」

虚無感とはすべてが空しく感じること、何事にも意味や価値が感じられないような感覚、などを指す意味で用いられる表現ですとネットの検索結果で一番上に出てきた。まさにそう。しかもずっとじゃなくて夜21時を過ぎたころから急にくる。多分さみしくて。

本を読もうとしても大好きな韓ドラを見ようとしても、からだが受け付けなくてすぐに閉じてしまう。Twitterを開いてもYouTubeを開いてもTikTokやインスタどのSNSを開いても、楽しそうに誰かと笑い合う人たち。それを見るのが死ぬほど苦痛で、でもどこか羨ましくてどうにかなりそう。このご時世だからどこかへ出かけることも躊躇うし、友達もいないわたしは誰かと通話することもない。だから最近の夜は携帯の電源を切って早々と眠りにつく。

疲れてる日は朝までぐっすりだけどそうじゃない日は途中で目が覚めて泣いてるときもある。虚無感とは違うかもしれないけど言葉の響きが好きだからそう言ってみてる。

世界は見えない敵に支配され、短い人生で一番愛したグループの相次ぐメンバー脱退、会えない愛おしい人、増えない貯金、できない彼氏。

いつだって世界は思い通りになんてならなくて、そんなことは分かってるけど、でもやっぱりちょっとあとちょっとでいいからわたしの望む世界になってくれたら虚無感も感じなくなるのかな〜〜〜なんて。

なにがしんどいってこれだけ虚無感虚無感言ってるけど結局その明確な理由なんてわからないってこと。

解決策もないし上手に付き合って生きていくしかないんよね〜。それだけが明確にわかってること。

誰かと付き合う前に虚無感と付き合っちゃってるよ😅💦しんど。だからたまにでいいから「生きてるカナ〜❓😁💦」とか生存確認してください。

 

 

 

 

 

嫌われ役

いつもそうだった

親が言い難いと黙って飲み込む言葉を私がまあるくして伝える役。姉にお金の話をするときも、弟に彼女は家族ではないという話をするときも、決まって私が嫌われ役をかってでた。家族なので本当に嫌われるわけではないからいいんだけど、やりたいかと問われればやりたくはないかな。だってそれを伝えることで傷つけないとはかぎらないから。でも伝えないと世間知らずに生きていくことになる。だからとても大切な役を任されているとは思う。そのおかげで乏しい語彙力がすこしだけあがったしなんでも言い合える関係になれているハッピーもある。それに素直に聞き入れてくれるからかわいい。私にはそういう存在がいないから親からの言葉がダイレクトに飛んでくるのはいたいけど!!!!!!(笑)

 

 

 

 

 

toアイドル

case1(韓国のアイドル)

当時爆発的な人気を誇り世界中どこにでもファンがいるグループ。根底にあるアイドル精神は何も変わらず常に人を思いやれるとても心優しい青年たちだった。とあるメンバーが話したコメントにこんな言葉があった。

「待つことしかできない人と待たせるしかない人。どっちが辛いかじゃないんだ。いまこの瞬間後悔のないように」

そのコメントが妙に刺さった当時の私が書き留めていたお返しを数年越しに世に放とうと思う。

『わたしたちが同じ空間を過ごせるのは約3時間。その時間が過ぎるとまた別々の場所でそれぞれの日常を生きる。長ければ何年も、短くても何か月もお互いを直接感じることはできない。それはだれかが悪いわけでもなく、辛さの優劣があるわけでもなく、ただ〝離れている〟という事実があるだけ。でも同じ空間で過ごすその3時間にどれだけわたしたちが救われているのだろう。ありがとう。』

我ながらなんてすてきなお返しだろうと感心した。

彼らと過ごした時間は、新しい世界を魅せてくれたとても幸せな毎日でした。

 

 

 

case2(もう二度と揃うことのない王子様たち)

 

本当に大好きだった。なんの根拠も約束もないけど、この先もずっとずっと一緒だと思っていた。でも違った。あの思い出も、あの場所も、あの時間も、すべて彼らがみせてくれた夢だった。アイドルとファンである以上、決して交わることのない関係で。それでもわたしのすべてをかけて敬愛し、追いかけ続けたあの日々を忘れない。どうか、その日々と思い出だけは永遠でありますように。

特定のきみへ、ひとこと?だけ。

「ソロがいいんじゃない?グループだと数字に追われる人生になるよ」と言われたきみがグループとしてやっていくことしか考えてないとこたえた話。わたしにしてみたらソロでデビューしてたとしてもそれは一緒だと思うけど、6人でデビューするという考えをまっすぐ伝えたきみはとてもかっこよくてたくましく思えました。いつも天然で何考えてるのかほんとうにわからないからこそギャップを感じました。それだけ6人でいることはきみにとって特別だったんだろうなと。今でもきみがくれた言葉たちはぜんぶたからものです。わたしの心にそっとおまもりのように生きています。ただただ元気でやりたいことをして好きな人とだけいて素敵な言葉だけを聞いて生きていてください。お願いというよりもう祈りに近いきもちだよ。

 

 

case3(アイドルとして生きる人たち)

 

アイドルという肩書きがあなたの存在や価値観を否定するときがあるかもしれません。世間からの印象と自分のやりたいことがちがうギャップに悩み、もがく、そんなときに思い出してほしいです。あなたの生き方、顔、性格、声、歌、笑顔、優しさ、強さ、弱さ、儚さ、色気、あげたらきりがないくらい魅力的な何かに惹かれた〝私〟がいます。アイドルとして存在しているだけであなたは十分です。笑えなくなったら素直にそう言えばいい、やめたくなったらやめたらいい、恋愛だって自由にしたらいい、あなたの権利を邪魔することなんてだれにも許されないのだから。でもアイドルとして生きるからには夢をみせていることを忘れないでください。ファンはありったけのお金と惜しみない愛を届けるアイドルにとって大切で特別な立ち位置にいる人です。世界に〝あなた〟がたくさんいても成り立たないし、〝私〟がたくさんいても成り立ちません。しかし世界にたったひとり〝あなた〟というアイドルがいることによって〝私〟みたいに助けられたり幸せを感じられる人がいる、それってすごいことだと思いませんか。たくさんの生まれ持った才能とそれだけを頼りにせずとことん努力して、初めてを掴み取っていく姿をファンは誰よりもそばで見て知っています。数ある選択肢から アイドル という道を選んでくれてありがとうございます。普通を手放して特別を得た〝あなた〟にこれからもたくさんのありがとうを届けるのがファンとしてできること。当たり前に溢れている他愛のないふつうな1日がどうかおだやかに続いていきますように。

わたしたちお互いに幸せでいよう。

 

 

 

 

あとがき

何年も前に書いたもの、つい先日のメモ、どれもわたしなのにわたしじゃない。その時を生きているわたしの気持ち。頭、心、指先からこうやって簡単に世界へと発信できるすごさとこわさの隣合わせの中また言葉を放つときがきました。だれにあてるわけでもなくただ好きに言葉あそびしたこんな日記が、いい暇つぶしになったらなによりです。

「わたし」「私」「自分」「あなた」漢字にしたりひらがなにしたり、意味もなく改行したり、口調だってぜんぶ違います。まあそんな読みにくさもご愛嬌ということで☺︎

 

あなたならきっとこの纏まりのない文章をおまえらしいなって笑って受け止めてくれると思います。

あなたと巡り会えたきせきに、乾杯。

すてきな一日を。

if

あと1センチで届くのか?

 

英語圏の映画をはじめて観た。私がヒロインだったとしてもきっと同じような選択をしたと思う。自分の気持ちより相手の気持ちを優先していっておいでと声をかけるし、夢をあきらめてほしくないから妊娠も言わない。私は彼女のようには強く生きれないけど自分の夢をあきらめてまで「里親」より「母と娘」の関係を取った彼女を心から尊敬する。1回の快楽でひとつの人生が想像とちがう道になる現実。こわいもの知らずで誰とでも繋がりを持ちたがるいまの世の中にぴったりの内容だ。

 

Love,Rosie

と書いて〝あと1センチの恋〟

そしてヒロインの名前はrosie(ロージー

は〜〜〜キュンやんこんなん。

 

日本映画とちがって淡々と進んでいく印象。2時間にぎゅっとそれぞれの人生がつまっている。ラスト20分のたたみかけに胸が高鳴り、私の中でベストが出たかもしれない。

あと1センチ。1センチってどれくらいだと思う?1円玉の半径だって。あのGoogle大先生が教えてくれた。それって短いのかな。長いのかな。私の1センチとアリさんの1センチじゃ全然ちがう。私の1センチとあなたの1センチもきっとちがう。感じ方が違っておもしろい。

この映画を教えてくれた人はもどかしい気持ちになると言っていた。自分ならこうするのに、と。この時点でもう私の感じ方とちがう。まあ男の子側からするとそうなのかもしれないと納得はできた。これまた感じ方が違っておもしろい。最高のハッピーエンドより最高のバッドエンドより、もどかしいほうがああでもないこうでもないって話せるような気がする。正解がないぶん「私の正解」「ぼくの正解」が出る。

さてこの映画はハッピーエンド?バッドエンド?自分の価値観でたのしんでほしい。

 

ここまで書いたけど綺麗事すぎてきもちわるい。

私なら、好きな子も夢も親になることもあきらめない。順番も大事だけど自分のために生きたいね。結局あれもこれもただの理想論にすぎない。

 

ただのif

 

だめだ

全然うまく纏まらない
書こうと思えば思うほど私のだめさに嫌気が差す
やめた

ついでに話すと、最近、気にして気にして神経質に生きる私と正反対みたいな性格の子と話す機会があって。まさにこの映画を教えてくれた子なんだけど

毎日くだらない話で盛り上がって、ばかみたいに笑って、たまにまじめに話して、何も考えなくていいくらいのめり込める素敵な時間。どうした?どうだった?は必ず聞いてくれる。落ち込んでいたら自然と笑えるように導いてくれて。

まさに理想の「愛」みたいなものを教えてくれた。これは大袈裟に言い過ぎだけど(笑)

 

友達でも恋人でもない「私とあなた」というなんとも形容しがたい関係にあるだいすきなひと。

1ミリくらいはこの『だいすき』が届いてるといいなとおもう。

 

 

 

たった1回しかみてないのに私の好きな外国映画はlove,rosie

そしてこの映画をみるたび、題名を口にするたび、のろいのようにあなたを思い出すだろう

 

 

 

 

なんてね。

 

 

どうでもいい私の話と主観が入りすぎた。反省。

メンヘラ日記

 

 

しあわせなことも日記に書くよ

 

今日は、とてもいい気分です。写真を見返して、動画を見返して。あぁほんとうに隣にいてくれたんだなと。たれた目とまゆげでまたねって玄関でばいばいしてくれたのが遠い昔に感じるよ。

 

会うこと、やりたいことはなんとなく決まってるけど、どこ行く何するを具体的に決めないふたり。東海オンエアみたいにじゃんけんで決めることもあるよ!今日はあーだこーだ言いながら洗濯を干して、パンが食べたいあなたの希望でパン屋さんに行ったね。気がついたらラーメンすすってたけど。いつもごちそうさまです。愛。

お腹いっぱいでウトウトするわたしを乗せた車はいつの間にか田舎道を走ってた。どこに行くの?と聞いても着いてからのお楽しみしか言わないの!!笑

どこについたのかはわたしとあなたの秘密なんだけど、うれしかった話するね。「見てー!」って自慢気に自分の撮った写真を見せるわたしに「うま」と言ってくれたあなたの笑顔が忘れられない…いつもいろいろなものにカメラむけてるわたしだけど、なんでもかんでも撮ってるわけじゃないよ。

わたしが写真を撮る理由は二つあって。

ひとつめは、思い出に残したいから。あなたと見た景色を、あなたと食べたラーメンを、あなたと過ごした時間を、記憶だけでなく記録として。見返しては幸せをかみしめる。

ふたつめは、わたしの目に映るものをあなたに見せてあげたいから。すべては無理でもわたしにはこんなふうに見えているんだよって。だから「写真うま」って言ってくれるの、お世辞でもうれしいの。見て見てなわたしにこれからも付き合ってくれたらなによりです。わら。

 

あなたにカメラをむけるのは、好きだから。あなたのことが大好きだから。わたしだけにしか見せない顔を残したいんだよーん。わら。わら。はずかしいね。わら。

 

 

うん、すごく話変えるね。

 

 

 

お酒とあなた

彼の飲み会の送り迎えをした。恋人の飲み会の送り迎えをするのはわたしの夢だった。そんなことが?って思うかもしれないけどしてみたかった。

22時22分。可愛かったから正確に時間覚えてるんだけど(笑)

なにしてた?

もうちょっとだけまっててね。

おれのことすき?

多分トイレからかけてきたんだろうけどかわいすぎて誘拐されないかおねえさん本気で心配になっちゃった。あの電話の彼に字幕がつくとしたら一言一句ひらがなだ。覚えたての言葉をうれしそうに話す赤ちゃんのようにふにゃあ〜〜〜ふにゃあ〜〜〜〜な彼がとても愛おしかった。

これ書いてて思うんだけどわたし恋人に怒られる…?笑とりあえず書き進めるけど、日記消えたら彼からストップが出たと思って。それまではメンヘラ日記なので重い愛を爆発させます🥺

話を戻して。

お酒を飲んだあなたを何回か見てきたけど今回が一番酔ってた。足元ふらふらだし、犬全開で甘えてくるし、人前でスキンシップしないタイプなのにキスしてくるんだもん。おれのことすき?とけっこんしよは30回ずつ。思ってもいないのに言っちゃだめでしょ。そんなこと言ったってどうせ覚えてないだろうけど。。おうちに着いてからの彼は『尽くしたい派』『尽くされたい派』と『甘えたい派』『甘えられたい派』どっちなのかというこの質問永遠にしてくるの。こたえても覚えてないくせに。今こたえようかな。尽くしたくて、甘えたいというのがわたしのこたえ。尽くされたくて、甘えたいがあなたが教えてくれたあなたのこたえだったけど本当はどうかな?笑

でもあなたと付き合って思うのは、尽くされることもうれしくて、甘えられるのはもっとうれしいということ。甘えられるのは苦手だったはずなのに(だから年下嫌いだったんだけど)あなたは特別みたい。可愛くて愛おしいから大好き。ふわふわでいいにおいの髪の毛が抱きついてくるのが幸せすぎてどうにかなっちゃいそう。何言ってんの、わたし、、。

 

もうやばいからおわろ。

 

隣にいて笑ってくれるのがあなたでとてもうれしいです。いつもありがとう。何も無かったわたしにすこしの自信とたくさんの幸せをくれるのはあなたです。溺愛する弟よりも、夢をみさせてくれる重岡さんよりも、というか比べる必要もないけどあなたが一番大好きです。

わたしの将来のゆめは、いつか、あなたのお嫁さんになることです。いまきめました。叶えられるようにがんばります🎋

 

なにもなくても電話してね。

不安なの。

 

i love ...🐶

 

おわり。

メンヘラ日記

 

 

無題

 

バンドマンが言葉を歌にするように、素直になれないわたしはメンヘラ日記にすることにした。

平次と和葉みたいなふたりになりたいなとか意味わからん言葉残しとこ。

 

 

なぜわたしは恋人に期待をしてしまうのだろうか。正確にはなぜ勝手に期待をして勝手に裏切られたきもちになってしまうのだろうか。そんなことないのに。信じていないわけではないの、決して。大好きで大切で信じているからこそ、きもちの危うさが気になるのだ。

「ラインは得意じゃない」「電話が好き」分かる。

「平日はひとり時間」「〜〜〜しながら電話していい?」分かりたくない。

わたしとあなたの〝好き〟〝恋人〟〝付き合う〟ことへの価値観の違いに涙するのはもう何回目だろうか。まったく違う人生を、まったく違う人間関係で歩んで来たわたしたちなのだからそういうものなのにそこに何度も泣かされている。これはどちらかが悪いとかじゃなくて個性、そこに対するお互いの捉え方の話なので悪いことだと思っていない。寧ろ話し合えるいい機会。毎回わたしが拗ねてぶち壊すんだけど…

わたしの我慢がたりないことは気づいてる。わたしの我儘なのも気づいてる。でも好きだから繋がっていたいし、あなたがわたしと同じように思ってくれてないと思っているわけではないけど、今日も「仕方ない」という言葉に殺されている。

社会人と社会人の恋愛ならもっと大人だと思っていた。大人ってなんなのか分かっていないけど。まあたとえば、平日はバリバリ仕事をして週末に会っておしゃれなディナーを食べたり映画を鑑賞しに行ったり綺麗なお花を愛でたりとかそんな感じ?分からないけど。笑

あーあ、大人になりたくない。ばかなわたしのままでただただあなたのことだけを考えて生きていきたい。難しい話だ。そんなのうまくいくわけがない。それにまだ付き合ったばかり。これから楽しいことがたくさん待っているふたり。それでもぶつかり合ったり、傷つけ合うのはお互いを思い合い好きだからだと理解できる、わたしがもっと大きな心であなたを受け止めないといけないことも理解できているよ。頭じゃ分かっていても心が追いつかないってしんちゃんが歌ってたけどその通りすぎて泣いた。ごめんね。

 

決まった日に会えると思っていた、それが当たり前だと思っていたわたしが良くなかった。当たり前なんてどこにもない。あるのはただあなたがくれた愛と時間だった。

 

あ、言っておくけど失恋してないからね。

この恋に関して失う気ないよ。もう無理!別れる!と思っては、嫌な言葉を恋人にぶつけて慰めをもらってあやされるまでがワンセット。そろそろ愛想つかされそうなので、わたしを変えないといけないね。病気のせいにするのも、生理のせいにするのもやめなきゃ。女の子はそういう生きものなの!という簡単な言葉で片付けるのは違うと思うから、変えていこうと決めたよ。

あなたをほんとうにあいしてるの、何よりも誰よりも大切にしたいからありのままのわたしを見せたくて、でも背のびをしちゃって失敗して、それでもまたあなたへの愛を育てるんだ。

そうやって、少しずつわたしなりに、わたしとあなたなりの〝ふたり〟になっていけたらそれ以上の幸せはないのではないでしょうか。

 

 

誰に宛てるでもないこのメンヘラ日記が、わたしの素直になれない心をあらわしてくれていたらなによりです。こたえになってないなあ。まあでも今のきもちを正直に書き連ねるのがメンヘラ日記なのでそこはご愛嬌ということで。 

 

 

大好きな彼氏へ

いつもほんとうにありがとう。

謝らせてばかりでごめんね。

仕方ないって言わせてしまうわたしも、仕事とわたしを天秤にかけさせるわたしも、あなたを傷つけるわたしもだいきらい。でももうやめる。伝えたいことはきちんと言葉にして、話すことにした。

木曜日以外ならわたしはいつでもどこでもあなたのところへ行くよ。

言ってないから知らないと思うけどどこでもドア持ってるんだよ。だから迷わず呼んでほしい。毎日会いたいと思ってるし無理なら無理って言うから(無理とかあるんかーいってつっこんで!!)

次の日とか、仕事とか、時間なんてあなたは気にしないで、わたしに会いたいと思ってくれるあなたのきもちだけを大切にしてほしいです。

これからも傷つけてしまうことがあると思うけど、懲りずに向き合ってください。

愛しています。

 

 

おわり。

 

メンヘラの激重日記

 

理想と現実のはざまで浮かんだきもち。

これからはじまるわたしの文章とタイトルが合っているのかはわからないけど、ひとりごとだからゆるしてね。

 

(好きな人=恋人)

リトルマーメイドの実写をみた。レイトショーで。

おおげさに話すなら一生忘れたくない甘くて切ない時間だった。

隣に誰かがいる映画館っていつぶりかな。

変なところで敏感なわたしが水の中での物語に耐えられるのかなとか、隣に座る好きな人を気にしないで映画に集中できるのかなとか、眠すぎるけど起きていられるかなとか、別のところに意識が向いていたんだけど

好きな人が誘ってくれて、ど真ん中の席を選んでわたしにプレゼントしてくれたのがとてもうれしかった。いつも自分で選ぶときは一番うしろのはしっこ、誰の目にもとまらないようなところでこっそりみるわたしには新鮮な目線でわくわくしてた。でもすごくみたかったわけではない映画だから(ごめんなさい)なんとなーくで座ってたんだー。

ところがどっこい、おわってみると涙ぽたぽた、何も話したくないくらい沸々とわきあがる無数のきもち。

 

(ここからはネタバレ?入るから気をつけてね)

 

 

 

王子様についている老人の言葉「理想より目の前のことを大切に」みたいなやつ、ぐさぐさ刺さっていたかった。ああなりたい!こうなりたい!そんな言葉で成り立つわたしの世界をひっくり返すには十分すぎる一撃。

人魚姫アリエルと人間の王子様エリックは『別世界』のいきものだから一緒にいたらいけないなんて、そこら辺にいるてきとうなわたしと真っ直ぐに仕事や人に向き合う好きな人も住む世界が違うような気がしてなんだかかなしかった。親がこどもをおもう気持ちにも感情移入しちゃってもうなんかすべてがかなしい映画にみえてしまった。笑

この映画の制作意図は他にあるはずだけど、わたしの受け取り方は〝ヒロイン=わたし〟だったからとても苦しかったー。。

憧れや好きという気持ちだけでずっと一緒にいられないことは苦しいくらい分かっているつもりだけど、隣に座る愛おしい恋人が手を離してどこか遠くへ行っちゃう気がして。大好きでたまらないからこそ感じる寂しさがなんとも言えない暗闇に消えていった。映画の感想よりも、わたしたちはアリエルとエリックのようにお互いを認め、助け合って寄り添い生きていくことができるかのほうが気になってしまったわたしをどうかゆるしてほしい。そこまで深い関係ではないのは、分かっているけど。

 

どうでもいいはずなのに、誰かの目にとまってほしくてツラツラ書いてみたけど纏まらないからやめよ。

 

この映画をみたから再確認できた、

自分のきもちに耳をかたむけて素敵なだなと思うところは取り入れて、これはもっとこういうふうにしようと感じられるその心を大切にしたいなと思いました。目の前にある当たり前に感謝をして、自分とはちがう感性や見た目を持った相手を受け入れて、それでも世界平和なんてそんな大それたことは言えないからどんなものにもやさしくてあたたかい世界でありますようにと願うくらいはさせてください。

 

それから、

この先もずっと恋人がわたしに恋をしてくれることを願って。

 

おわり。